私の中でプリキュアは
「セーラームーンじゃないアニメ」
「プリキュア好きな独身男性はマイノリティ」
くらいの認識しかなかったけど、アニメシリーズと映画を何本か観て少しだけ詳しくなり、沼というほどでもないけどプリキュア好きな独身男性になった。人間とは勝手なもので、いざ自分がプリキュアを見だすと
「プリキュアって大人のファンも多いからマジョリティだよね」
と考えを変えた。差別主義者が被差別側になることで考えを改めるという、よくある話だ。プリキュアに限らず他の文化でも全てそうだろう。
ルールーと俺。うわぁキモッ。日曜日の朝は寝ているのでハグプリは未見なのだが。
映画館にも行った。プリキュアの映画では、プリキュアがピンチになると小さな子供たちがペンライトを振る。そうするとプリキュアはピンチを切り抜けられるという、昔からある応援上映形式だ。
このペンライトを振るとピンチが切り抜けられる、というのは面白いアイデアだ。私は映画を見る時に脚本の展開を先読みしながら観るので、プリキュア映画を初めて映画館で観たときは
「いや、この状況をどうやって切り抜けるの?無理じゃん!」
と焦っていた。でもそうすると子どもたちがペンライトを振り出すので
「ああ、そうか、ペンライトで切り抜けるのか」
と感心した記憶がある。
プリキュア映画最新作の『映画HUGっと!プリキュア・ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ』が、応援上映の大技をやっていて2018年の映画鑑賞で一番感動したシーンだった。『ボヘミアン・ラプソディ』のライブ8や、『カメラを止めるな!』のクレジットに匹敵する感動がそこにあった。
『オールスターズメモリーズ』の敵はミデンという化け物で、ミデンの特殊能力は相手の思い出を奪うこと。思い出を奪われると赤ちゃんになってしまう。55人いるプリキュアのほとんどが赤ちゃんになっちゃうけど、彼女たちは復活ができる。なぜなら残ったプリキュアたちはお互いの思い出を絶対に忘れないから。専門用語で説明すると例えばキュア・エトワールが思い出を奪われて赤ちゃんになっても、キュワ・エールが友情を忘れていないので、キュア・エトワールは赤ちゃんから元に戻れる。誰かが赤ちゃんになっても相互に助け合うことができるのだ。
以下は完全ネタバレ。
ミデンの正体はフィルムカメラの亡霊だった。フィルムカメラは思い出を残すはずなのにデジタル社会に取り残されため、使われずに終わった。だから思い出が何も無い。その怨念から思い出を奪う化け物になったのだ。そして映画のクライマックスでミデンはその怨念を発揮してプリキュア55人全員の思い出を奪う。プリキュアは全員が赤ちゃんになってしまい、もう誰もプリキュアを思い出すことができない。大ピンチ!
ここで絶対にプリキュアを忘れない人物がカッコよく登場して、プリキュア全員を助けるのである。さて以下の4つのうちの誰でしょう?
正解はD、観客だったのだ!映画館に来ている観客たちはプリキュアが好きだ。観客は彼女たちの活躍を知っている。剛の者なら15年間のプリキュアの活躍を覚えている。だからプリキュアは観客の力を借りて復活できる。このクライマックスに、にわかの私ですら凄まじい感動をした。
こうして55人全プリキュアが復活してミデンをボッコボコにするのであった(違う、ミデンを助けてフィルムカメラでピクニックに行くのが本当のラストシーンです)。
応援上映といえばペンライトを振ったり、筋金入りのリピーターが完璧なタイミングで盛り上げてくれたりするもの。でも『オールスターズメモリーズ』は観客が脳内記憶で参加するという大技をやってのけた。
「実は観客も登場人物だった」
というのは誰もが一度は考えるトリックだろうけど、中々難しい。『プリキュア』は15周年企画でファンたちに色々振り返ってもらうという現実の伏線を貼りながら、「観客も参加させる」という大技を成立させたのだ。