破壊屋ブログ

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ゴリ押し批判シーンでゴリ押し

テレビドラマの『夕暮れに、手を繋ぐ』の5話を見ていたら驚くシーンがあった。

主人公(キンプリの永瀬廉)は作曲家としてデビューを目指している青年。大手レコード会社に勝負曲を売り込みに行くが、レコード会社の幹部が用意した歌手(エビ中の風見和香)はただの素人だった。実はこの歌手はスポンサーの娘でレコード会社はゴリ押しを断れないのだ。

しかしゴリ押しに反対する大手レコード会社の社員は作戦を立てる。幹部に素晴らしい歌声を聞かされば考えを改めてくれるのでは?主人公たちは「青学のセリーヌ・ディオン」と呼ばれる美声の持ち主(お笑い芸人の馬場園梓)を呼んで、偶発を装った社内ライブを計画する。社内ライブは幹部の出社時間に決行されて成功。幹部が素晴らしい歌声に感銘を受けた結果、素人の採用は見送られることになった。

呆れるほど強引な展開だが、一番驚いたのは社内ライブのシーンで「素晴らしい歌声」が一切流れずにタイアップソング担当であるヨルシカの曲が延々と流れたことだ。

いや、これ企業のゴリ押しと戦うシーンだよね?本編がそれ以上にゴリ押ししているじゃん!タイアップソングを強引にねじ込むのはアメリカ映画でもよくあるけれど、「本来流れるはずの音楽を使わずにタイアップソングを使う」というのは流石に日本だけだと思う。
擁護すると、この一連のシーンはコメディパートなので目くじらを立てるシーンではない。タイアップソングも「売り出すために使った」よりも「ごまかすために使った」感のほうが強い。「素晴らしい歌声」って表現するの難しいし。「ごまかし目的」だったら上手く成功しているシーンだと思う。

ただ本シーンのように「作品のクライマックスが作品のテーマを否定している」というのは、映画やドラマを観ていて稀に発生する珍シーンだ。『夕暮れに、手を繋ぐ』から俺が連想した過去の珍シーンは…

BECK』の素晴らしい歌声

映画『BECK』では「素晴らしい歌声は表現不可能」ということで、クライマックスのライブは画面も音もボヤけさせた。劇中の観客たちは素晴らしい歌声を体験しているのに、映画の観客は何も感じることができない珍シーン。歌声のイメージを固定させたくない原作者の意向もあったらしいが。

『昴-スバル-』のクラシックバレエ

エイベックスが作ったバレエ映画『昴-スバル-』で、バレエの音楽が流れずにエイベックスのタイアップソングが流れたシーン。バレエ映画がバレエを否定してどーする。ちなみにこの酷い編集は日本独自で、海外版だとちゃんとバレエの音楽が流れる。

沈黙の要塞』の説教

映画『沈黙の要塞』でスティーブン・セガールが石油プラントを爆破してから環境保全を訴える映画史に残る珍シーン。スティーブン・セガールエスキモーたち*1の神秘的な力に救われつつ悪徳企業を爆破してやっつけるという(それはテロだろ)、90年代ハリウッドの胡散臭い正義感が満載の珍作。

*1:注:イヌイットは逆に不適切