幼稚園に刑事再び!
『キンダガートン・コップ』と言えば1990年に作られた大ヒットコメディ映画だ。アーノルド・シュワルツェネッガー演じるコワモテ刑事が、幼稚園に教師として潜入捜査。凶悪犯相手でも平然としているシュワちゃんが、園児にタジタジになる姿が面白い。
それが26年後の今になって続編が作られた。主役はドルフ・ラングレンに交代、アメリカでも日本でも劇場公開されていない低予算映画だ。低予算すぎて、FBI本部がどう見てもFBIには見えないし、クライマックスはそこらへんの公園だった。
カルチャーギャップ
『キンダガートン・コップ2』の海外での評判は散々で、俺もイマイチだと思っている。しかし、この映画が持つ三重構造のカルチャーギャップだけはメッチャ面白かった。この映画には三つのカルチャーギャップがあるのだ。一つはコワモテ刑事と園児のカルチャーギャップ。まあこれは解説しなくてもわかるだろう。
リベラルと保守
もう一つはリベラルと保守のカルチャーギャップだ。以前も紹介したけど、アメリカ映画は
「リベラルな主人公が保守派の一家と会ってタジタジになる」
というパターンがめっちゃ多い。ところが『キンダガートン・コップ2』は逆のパターンで、保守派の主人公が超リベラルな幼稚園に入るというカルチャーギャップコメディなのだ。
『キンダガートン・コップ2』に出てくる幼稚園&園児たちはこんな感じ。
主人公はステーキとサンドイッチが大好きで「子供でも小学生になったら銃を撃っていい」という考えなので、リベラル幼稚園は異世界だ。
この映画は教育現場で徹底されるポリティカル・コレクトネスを題材にしたギャグもある。ドルフ・ラングレンが園児たちに「あぐら」で座らせるために
「Indian style(インド式)」
と発言して怒られるシーンがある。政治的に正しい「あぐら」の英語表現は「Criss Cross Applesauce(すりおろしリンゴのお菓子)」なのだ。ちなみに「sitting Indian style」で検索すると「この言葉は政治的におかしいの?」って議論がたくさん登場してくる。
また『キンダガートン・コップ1』のヒロインは犯人の元妻だったけど、『キンダガートン・コップ2』のヒロインは行き過ぎたリベラルにウンザリしている女性教師だ。ドルフ・ラングレンとヒロインは意気投合し、保守的なカウボーイテイストの店でデートする。
1990年と2016年のカルチャーギャップ
そして三つめのカルチャーギャップは、俺が勝手に感じているだけなんだけど、1990年と2016年のカルチャーギャップだ。『キンダガートン・コップ』の1と2を比べるとポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)の追求が強くなっている。一番感じたのは虐待する親への接し方だ。
『キンダガートン・コップ1』では虐待する親に対してシュワちゃんが鉄拳制裁するだけ。

しかも生徒たちの目の前で!
対して『キンダガートン・コップ2』では、ドルフは暴力的な親に優しく接して一緒に問題を解決しようと提案する。

政治的には正しくてもドルフが人を殴るシーンが見られないのが残念!
また子供たちの指導方法もだいぶ変わっている。
『キンダガートン・コップ1』のシュワちゃんは園児たちを指導できず学級崩壊を起こしてしまう。そこでシュワちゃんは、笛の音を使って命令することで園児たちをおとなしくさせる。劇中の校長先生はこの指導方法を評価する。

園児相手に警察学校式教育を取り入れるというコメディシーン。
『キンダガートン・コップ2』でもやはりドルフは防災ホーンの音を使って子どもたちを従わせようとするんだけど、これは校長先生に「暴力的な方法」として批判される。

リベラレル派の校長先生に「子どもたちに良い環境を提供して」と怒られるドルフ。
『キンダガートン・コップ1』は全体的に軍隊チックな教育方法で成功する物語だったのに対して、『キンダガートン・コップ2』はドルフ・ラングレンが最新の教育方法を学んでいく物語なのだ。
他にも『キンダガートン・コップ1』では「男の幼稚園の先生なんて変人!」という扱いだったのに、『キンダガートン・コップ2』では「男女の区別なし」をやたら強調していた。26年の間に状況がだいぶ変わったのか。
最後に
やたらリベラルを強調していた『キンダガートン・コップ2』だけど、クライマックスはネタバレなので、リベラルとか政治的正しさとか気にしていると思いっきり裏切ってくる作品だ。というか酷いクライマックスだな。まあとにかく「リベラルは正しいけど、最近行き過ぎていてちょっとウンザリ」という風潮が透けて見える映画だった。