破壊屋ブログ

ネタ系映画ブログです。管理人はこの人→http://hakaiya.com/giccho

「足が不自由」なのは何のメタファー?

↑『ジョゼと虎と魚たち』。足が不自由な人を受け入れているように見えて、実は上から目線な感覚を暴く名シーン。


映画と健康について元気が出る映画のおすすめ 大人が満足の名作を厳選 - lala a live(ララアライブ)│フォーネスライフで書いたわけですが、日本映画における「健康」には「難病モノ」というジャンルが不可避なので、難病モノの代表的存在である『余命1ヶ月の花嫁』もあえて取り上げました。

難病モノが流行る理由

↑今年公開された『生きる』のイギリス版。

どうして日本でここまで難病モノがジャンルとして発展したのかは、沢山の要因があります。社会的な要因「lala a live」に書きましたが、文化的な要因として「昭和の時代に不治の病モノが大流行してその影響がまだ残っている」があると思っています。古くは黒澤明の『生きる』がありました。またテレビドラマでも不治の病モノが鉄板でした。だいたい2パターンに分けられて

  • 白血病になるパターン
  • 骨肉腫になるパターン

どちらかです。漫画家の西原理恵子がエッセイコミックで「私が女子高生の時は悲劇のヒロインに憧れてみんな白血病詐病していた」と書いてましたが、当時はそれほど影響力があったのでしょう。しかし今や白血病も骨肉腫も治療法が大きく進歩しています。白血病の治療が終わった水泳選手の池江璃花子は復帰しました。実は私の友人の子供が足の骨肉腫になり長期間の入院中ですが、今はリハビリに取り組んでいます。

病気=不幸は決めつけ

治療法が進歩したという以前に、そもそも「病気=不幸」の描き方には違和感があります。不幸って決めつけるなよと。そして実際、以前に比べて「病気=不幸」というコンテンツが減ってきていると思っています。 で、今回の本題はここからです。私が考える、これから無くなっていく描写として「足が不自由=不幸」があると思います。「足が不自由だった人が歩ける」というのは超分かりやすいメタファーなので多用されてきました。

様々な「足が不自由」のメタファー

ここからネタバレ連発です。

アルプスの少女ハイジ

アニメ『アルプスの少女ハイジ』だと、足が治っているクララがずっと歩けないのはクララの精神面に問題があるからと描かれています。クララが歩けるようになるのが、クララの精神面での成長を意味しています。

ザ・ファブル

ザ・ファブル』で車椅子を使っている少女が出てきますが、車椅子は少女がトラウマに囚われていることのメタファーです。少女はトラウマと対決することで立ち上がることが出来ます。それを精神的にも物理的にも支えるのが主人公ファブルです。

ウィッチウォッチ

マンガ『ウィッチウォッチ』でも「車椅子を使っている登場人物を治す」というエピソードがありました。『ウィッチウォッチ』は最近の作品なので「車椅子=不幸」に見えないように注意して描かれており、流石だと思いました。とはいえ「車椅子を使わない」が家族の再生を意味していました。

ジョゼと虎と魚たち

ちょっと変わったパターンだと実写版『ジョゼと虎と魚たち』は「足が不自由=足を持たない人魚」のメタファーになっています。そのためジョゼが電動車椅子で自由に疾走するラストシーンは「彼女は人魚ではなく普通の人になった」を意味しています。ちなみにアニメ版だと「足=空を飛ぶための翼」に例えるシーンもあります。

大統領の理髪師

この手の描写で私が決定版だと思っているのは2004年の韓国映画の名作『大統領の理髪師』です。『大統領の理髪師』は1970年前後の複雑な韓国の社会事情が背景にあるんですが、とにかく省略して紹介します。北朝鮮のスパイだと疑われた少年が韓国当局の拷問で歩けなくなるんですね。これは独裁者だった朴正煕大統領(映画では別名)の民衆への弾圧を意味します。「歩けない=民衆への弾圧」というメタファーなのです。だから大統領が死ぬと少年は歩けるようになる。これは韓国の国民が独裁政権を乗り越えて民主主義で自立したことのメタファーです。

外国映画

↑Disabled Villainsの皆さん。

外国映画、特にアメリカ映画とイギリス映画はなぜか「車椅子=権力・悪役」を象徴する場合が多いです。そもそもDisabled Villainsと呼ばれる「悪役=障害者・怪我人」が多く、悪役の歪んだ性格のメタファーとして障害や怪我が使われています。これは「不適切だろ!」と長年議論されています。アメリカ映画とイギリス映画にDisabled Villainsが多いのはジェームズ・ボンドの影響では?という意見があり、なるほどと思います。

「足が不自由」が意味するもの

↑メカアマトのヒロイン。

これらのとおり「自分の足で歩く」は「成長」「自立」「克服」といったメタファーになっているのです。逆説的に「足が不自由」は「未熟」「依存」「挫折」の負のメタファーになってしまいます。

今回挙げた作品はどれも素晴らしい作品たちです。メタファーを使いつつ成長を表現しているのですから、そりゃそうでしょう。しかし最初に書いたとおり、この手の「病気=負のイメージ」の描写は今後減っていくと思います。最近だと2021年のマレーシアのアニメ『メカアマト』でヒロインが車椅子なことに何の意味も無いです*1。これは多様性の観点から素晴らしい設定だと思います。意味が無いことに意味があるのです。まあマレーシアはイスラム教の影響が強いため、女性キャラは車椅子に載せたほうが派手なアクションしやすいという事情もありそうですが。

オマケ:メガネについて

Dr.スランプ 5 (ジャンプコミックスDIGITAL)

こういうメタファーの変遷は過去に何度も起きています。例えばメガネですが、かつて日本のマンガではメガネは「不美人」「内気」を意味する記号でしたが、鳥山明の『Dr.スランプ』の登場以来メガネのメタファーは少しづつ弱くなっています。アラレちゃんがメガネのメタファーを破壊したのです。とはいえメガネが「知的」「内気」を意味するメタファーは今でも分かりやすい記号表現ですし、海外だと「メガネ=オタク」「メガネ=日本人」の意味合いもあります。

*1:シーズン1しか見てないので、その後どうなるか分からないけど